いやー、ついに終わっちゃいましたぁ「ちりとてちん」。
最終回後は、「寂しいだろうなぁ...。」とか、「燃え尽き症候群になったりして」とか思うぐらい入れ込んでいました。
が、今の感想といえば、
スペインから帰った小梅おばあさん(ヒロインの祖母)が言っていた
「堪能した」...がいちばん近いでしょうか。
ヒロイン喜代美は、落語家を経て、みんなのおかあちゃんになって。
師匠の息子、小草若は、草若の名を襲名して。
喜代美・弟の正平は、きちんと恐竜博物館の学芸員になった。
親友の清海は、納得して若狭塗箸製作所の社長を継いだ。
ヒロイン夫の草々さんは、疑いもなく落語一筋...だけれど、細かい紆余曲折がたくさんあって。
....。
このドラマのテーマは「継承すること」なのだそうですが。
人が本当にやりたいこと、なりたいものは、過去から未来へ継承する「何か」でもあるのだということも教えてくれます。
「人はみんなその流れの中にいる。」
しかし、そもそも、人間ってのは、未熟だから、「自分が本当にやりたいこと」は、本当に自分のそばにあって最初は見えないわけです。否定したり、逃げたり、嫌ったり、悩んだり、不安になったりを繰り返し、やーっと見つけるもんだというドラマでした。
さて、やっと見つけた「自分のなりたいもの」。
それを全うすることのほうが人生の本番で、もっとずっと大変なはず。
脚本家が生み出した、へたれなヒロインと脇を固めるやっぱりどこか未熟な愛すべき人々。
ドラマの途中で何回も最終回風があったにも関わらず、最後の最後はそんなそぶりがない。最終回というよりプロローグ、予告編みたいな今日の回。それは、未熟な登場人物への「はなむけ」とか「激励」とかのためとってあったかのような感じです。
「伊達に13年修行積んどらんのやでぇ。似たような経験したかって、同じ結果にはならん筈や。きっと何か、新しいもんが見えてくる筈やでぇ」という順ちゃんのことば。
「そら正平は、今は苦しいかもわからん。ほんでもこの先、何になるにしても。すんなりなれるよりか、ずっとええように、うちは思いますけどなあ」という小梅おばあさんのことば。
そして、「人間も箸とおんなじや。砥いで出てくるのは塗り重ねたもんだけや。一生懸命生きてさえおったら、悩んだことも落ち込んだことも、きれいな模様になって出てくる。おまえのなりたいもんになれる。」第一週目から視聴者のココロをわし掴みにした、塗箸職人のおじいさんのことば。
これらを、私も私の往きこしのはなむけとしていただきましょうか。
私も可能であるならば、こんな未来に可能性を繋ぐ奇跡のような仕事をしてみたいものです。
TVドラマなんかに、たっぷり堪能させられました。
TVメディアの可能性みたいなものも感じさせられる半年でもありました。
「ありがとう」と、こころから思います。