雑誌作りは、取材の日々から原稿チェックの日々に入る。
これは、編集者としての仕事で一番楽しみにしていることだ。
いつも思うことだが、短い文章が得意な人は集中力があり、ぱぱっとセンスの良い原稿をあげてくる。これは自分にとって大変参考になることが多く、自分の仕事や日常生活の引き出しのネタを増やすことになる。たぶん、多くの雑誌の読者にとってはこんな文章が「ちょっといい」のだろう。
これは、プロのライターの仕事だ。
そして、長文で面白いことを書いてくる人は人間として体力があると思う。
人間力がある人ほど、何でも一度深く掘り下げてから文章に仕立てるから心を打つ原稿を書いてくる。実はちょっと不器用な原稿の作り方だが、そこまで粘る体力があるからやれてしまう。
そんな原稿をもらえた時、個人的に今回の仕事は成功したと密かに思う。
ちょっとした私への贈り物をもらった気分になるからだ。個人的に得したと言い換えてもいい。
たとえその原稿が載った雑誌が売れなかったり、評判をよばなかったりしても、それは違う次元のことだ。「雑誌」や「本」は、いまやマーケティングとかのビジネスのエリアに片足を突っ込んでいるから...。
結局私は、文章を読むという行為がすきなのだ。
文章は誰かと出逢って影響されることに似ているからなのか、活字を追うとき、いつも貪欲に人間力による結果を探している。そのとき読む対象は、情報ではなく「文章」であることが重要。
そして、文章を読むことが好きなひとに同業者が多いのはそういった理由なのではないか?
一度も確認したことがないから真相はわからないけれど。