どんな本を編んでいたかは知らないけれど、とにかくずーっと編集者として生きてきた人が、50代に入ってから創り上げた珠玉の物語。
しかも、デビュー作...とはとても思えない。
隅々まで隙無く、読者の目を逸らさない強力な魅力をそのうち懐に静かにたたえているような、そして、淡々と美しい物語だと思う。
物語は、高度経済成長期から一線で活躍し続けた建築家...「先生」と、その建築事務所に入所したばかりの新人である「ぼく」をとりまくひと夏の話。
時は、バブル華やかなりし1982年だけれど、そんな時代に浮かれることなく、しっかり地に足を着け、自分の信じることを、ひとつひとつ積み上げるように生きている...といった風の登場人物たちが慕わしく、嫌いだったはずのあの時代が懐かしくも思えて嬉しかった。
懐かしがって読みながら、ささやくようにそこで語られる大事な言葉たちに、ときどきハッと立ち止まり、またその言葉を噛み締めるように先へ進む。
その多くは、「先生」の仕事に対して貫き通してきた姿勢のようなものでもあって、読者は、いつしか、そこを聞き漏らさないようにとでもいうかのように、慎重に活字を追っている自分に気づく。
「理不尽なものに押し切られることもあるだろう。(建築は)相手のある仕事だからね。ただ最後に押し切られるにしても、自分の考えは、言葉を尽くして伝えるべきなんだよ。そうでないと、自分の考える建築がどこにも無かったことになってしまう。自分の考えを、自分自身ですらたどれなくなってしまう」
...物語後半、こんな風にはじまる「先生」の言葉にぶち当たり、(冒頭からそんな予感はあったものの)この本は、しばらくは手放せない本だと強く確信を持ちはじめ、やがて、せめてここは、書き出して、日々目につくところにおいておくべきかもしれない...などとまで(笑)。
この言葉の続きをもう少し。
「本当に身をはって理不尽を言ってくる人間は、数えるほどしかいないものだ。たいした定見があるわけでもなく、誰かがそういっていたから、人からこう思われるから、世の中がそうなっているから、それぐらいのことでものを言う人間がほとんどだよ。そうゆうものはこちらに覚悟さえあれば押し返すことができる。(略)そうゆうときに、建築家としての信条が問われるんだ。その場面で自分の考えをどう伝えられるかは、ふだんのやり方の延長線上にしかない。いざというときに底力を出すつもりでいても、ふだんからそうしていなければ突然にできるものじゃない」
たとえば、誰がなんと言おうと、自分にとっての新しいものを生み出そうとする時に。
たとえば、常識とは外れるようなことだけれど、それこそが進む方向だと思うときに。
たとえば、出口はまだ遠いが、自分の信じる道を歩き続けようとするときに。
そんなときにこの「先生」の言葉を思い出そうなどと思う。
...おいおい、コレは、物語だよ!私っ!ちょっとおおげさじゃあありませんか?
いやいや、この本は、そんな本。
書物の中に繰り広がる物語には、こんな風な存在感のある言葉で満ち溢れていることがあるものです。
そして、年明け1冊目にして、すでに今年いちばんの本にあたってしまったような予感。