読んでも読んでもまだ先がある。
読み終わらない安心感みたいなものが好きなのかもしれない。
「鳥を探しに」平出隆 双葉社
ページを繰れば、1ページ二段組。しかも文字はさながら辞書のように小さく、そうして、延々659ページも続く。ここまで分厚ければ、電車の移動中に読書とかは無理そうだし、寝転びながら読むのも、ゆるゆるとまどろんだ拍子に頭上に落としたら危険な気もするのでそれも避けたい。そんなこんなで、机に向かって姿勢を正して読み始める。
これは、詩人平出隆氏の二冊目の「小説」なんだとか。が、冒頭、数10ページぐらい読みかじってみたところで、まだその物語のとば口付近をうろちょろするのみで、物語の道は、はるか向こうまで続いていて、行き着く先はいまだかすんでいる。
100ページ辺りまで読み進み、どうやら、これは「私」が生前に数回しか会ったことのない祖父「左手種作」が何者であったを探る話なんだろうか...などとうっすら物語りの輪郭が見えてくる感じ。
普通の小説ならば、もうこのあたりで、とっくにギブアップしそうなものだが、ぎりぎりのところで読者を踏みとどまらせる。
それは私の場合、物語の中に唐突に登場する、祖父「左手種作」の残した随筆とか外国語で書かれたいくつもの紀行や探検記の訳文が新鮮かつ興味深かったり、さらに並んでまたまた唐突に挿入される、作家のベルリン滞在時のエッセイ風の文章が好みだったりなのだが、もうジャンルの枠など軽々と飛び越えているもんだから、読み手によって楽しみ方はもしかして無数かもしれない。
そんな風にして、まだ先は長い。
ちょっと休憩と、物語世界から現実に立ち戻り、美しい装丁のことなど知りたくて、こんどは表紙のあたりをいったりきたり。
「挿画 平出種作」というクレジットを発見し、この方が、物語の「左手種作」さんだろうか?などと、その発見自体が嬉しくもある。もしかして、物語にここそこに添えられた挿絵も同じくこのお祖父さんの作品なのかもしれず、今度は、挿絵だけを丹念に探し眺めてみる。
こんなぶ厚い書物だのに、誰かにもお薦めしたくなるのは、こんな風な不思議な魅力に満ちて、ほかに似た物語を知らないから...なのだと思う。