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ココロはいつも休暇中



縄文時代の使者

上野・東京国立博物館の土偶展へ行く。
縄文時代の使者_f0108825_95281.jpg

特別展の会場内は、撮影禁止のため、この写真は常設展のものですが、ともかくどれもすごい造形美。カタチの面白さはもちろん、その表面に施された渦巻きを中心とする模様に圧倒されます。
これら「土偶」が創り出された最初は、約13,000年前の縄文時代草創期といわれ、そのころのモノは、私たちが知っている「土偶」とも違い、顔とか手足とかもあいまいに作られシンプルで小さい。
が、そのフォルム自体がピュアで可愛く、しょっぱなからココロ惹かれました。
順路のスタート地点からじっと目を凝らして眺めます。なんか視覚が勝手に暗記モードに入ったかのよう...。
解説によれば、そんなシンプルであいまいなカタチでも、乳房だけははっきりあらわされていることから女性像...なのだとか、ああ、確かに。
そして、土偶のほとんどは、女性をかたどったものなのだそうです。

さて、展示は、縄文時代前期、中期、後期、そして晩期と並べられ、土偶たちには、徐々に、顔や手が創られるようになり、時代が溯るにしたがって、装飾性が豊かになってゆき、カタチも板状(壁に立てかけたり、留めたりして飾ったのではないか)から立体的に、そして、作られた場所の特性までも現れてくる。...となれば、私も集中力を増してゆかなければ、その展示されるもののパワーについてゆけません。
特別展といっても会場内は、そう混雑しているわけでもないし、展示数も67点といつもよりぐっと少ない。しかし、その一体一体が持つ情報の密度の高さたるや...疲れました。

日本の場合、「土偶」の出土地は、東日本に偏っていて、西のほうにではほとんど出土されない...というのも、この展示で初めて知りました。
そして、世界的に見れば、こうした土製品は、農耕社会に入ってから多産や豊饒を祈るために創られる例が多く、縄文時代のような狩猟・採集で生きていた時代にこのようなものが作られた類例もあまりないこと。農耕社会・弥生時代に入ると、徐々にというより、ぱったりと「土偶」は消えてゆく...という事実にも、好奇心が刺激されます。

土偶のピュアなカタチと装飾性。
対し、弥生時代の素焼き土製品「はにわ」のシンプルさと、何をかたどったかが理解しやすいリアルなカタチ。

例えば、そのデザインを単純に比べて思えば、自然中心の人の作為が通用しない縄文時代と、富の配分と身分の格差が生まれ、「くに」と戦争もあった弥生時代の差を表現しているように思えます。言い換えれば、やらなければならないことが多くなった弥生人と、自然の営みがすべてを決めてくれるとゆだねた縄文人のクリエイティビティの違い...とでもいいましょうか。
そして、弥生時代あたりから、私たち人間が少しずつなくしてきたものは「時間」なのだなぁ...と言う風にも思えてならない。
時間の絶対量は変わらないどころか、歴史が進めば、効率化もされてスピードは増してきたのは周知の事実。が、素の状態で生きたであろう縄文人たちには、ゆっくり考え、満足ゆくまで創り続ける「無限の時間」があったのだろうな...と。

ところで、この土偶展には、日本にたった三つしかない国宝の土偶も展示され、それは本気で一見の価値ありです。博物館のHPにも写真はありますが、本物の迫力にはまったく及んでおりません。

ついつい、自然に手を併せ、祈る私がそこにおりました。
祈った内容は、私ごとというのが祈り手の小者なところ(笑)、実際には、世界平和とかを祈るにふさわしい佇まいです。
by tao1007 | 2010-01-11 09:50 | 多神教の国の文化
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