ココロはいつも休暇中



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円朝さんてどんなひと?

円朝〈上〉 小島政二郎 河出文庫

8月、ご近所の全生庵にて円朝まつりが始まるたび、書店や図書館で気になりだすのがこのひと関連の本の数々。この街に越してきたときから、墓所がご近所というのもあって、一度は読んでみたいなと思ってはや数年たってしまった。
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膨大な創作落語をものした近代落語の祖とも言われるひとだからして、全集やら、後世に弟子が演じたCD&DVDやら、図書館の資料数の多さはさもありなん。
ついで、伝記的小説も結構多く。いったいどれからはじめよか...というのが、今まで手出し不能の大きな理由。
が、暇な今読まずに、いったいいつ...ということで、山勘にて、まずは、小島政二郎作を借り出してみた。
で、あまりの面白さにブログ書くのももどかしく...という感じにどっぷり浸かり。
とりあえずのお茶濁しにて、その面白さの理由を箇条書き。

ひとつ→もちろん、天才のみに課せられたとしか思えない、円朝さんの波乱万丈な人生そのものが面白すぎるんであり。
ふたつ→作家、小島政二郎氏の出自。なんと、円朝さんの幼なじみの孫なんだとか。たぶん知られざる”リアル”が、話を面白くさせていると推定。
みっつ→もちろん、作家の筆力。実は、この作家、名前しか知らず読んだことがないという不勉強を深く反省...というか後悔。ネット検索すれば、葛飾北斎 森鴎外、永井荷風、久保田万太郎、谷崎潤一郎、そして芥川龍之介などを題材にした小説多数。かなーり私の琴線をゆらし、食指を刺激するラインナップなんでした。
そして、四つ目→江戸から明治の庶民の暮らしと当時の谷中界隈の詳しい描写。これは、ご当地小説として読んでもかなりの面白さ。もうまるで、一冊で何度も美味しい...といってしまって差し支えないでしょうね。

...えーっ。ということで夢中で読んで、ただいま上巻読了にてこのブログ記録中。
で、二代目円朝がいまだ居ないのは何故なのか...とか。
幽霊画のコレクションは何をきっかけに始まった...など。
書かれているかいないか不明のことも含め、ともかく続きが相当気になるもんで、この辺で。

ご容赦、ご容赦。
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by tao1007 | 2009-09-19 21:10 | 読書する

東京の街と時代のささやかな関係

f0108825_15322317.jpg茗荷谷は以前住んでいた場所で、ただそれだけの理由にて手に取った本。
読めば、不思議な雰囲気のある物語だった。
江戸の幕末頃から昭和、戦後の高度経済成長期の直前あたりまでの約100年を、市井の人たちのささやかな縁で繋ぐ不思議な連作小説...といったらいいのか。
この物語の持ち味にもなっている「縁」の描き方が、ささやか過ぎて、もしや、この物語にはもっと重大なことが埋まっているのでは?...などと思えてしまう。...これも作者の意図なのかしら?

舞台となる東京の街は、過去の雰囲気ある町名のまま登場することが多く、それも私の興味をそそる。
巣鴨染井、品川、茗荷谷町、市谷中之町、本郷菊坂(この街にある不思議な古書店「偏奇館」は、ほんとにありそうで...。)、浅草、池袋、池之端、千駄ヶ谷。
どの街の描写も巧みで、この本を頼りにちょっと訪ねてみたくなる。

さらに、よくよく読み進めれば「あれ?この本は?あれコノ人は...。」と言う風に著名な作家や作品が重要な脇役として登場もするが、これもさりげなさ過ぎて時々さらっと通り過ぎ、次の物語あたりで気づかされて戻ってみたり...。
ともかく、よくある物語であるような振りをして、これまで出会ったことの無い物語。

まずは、「それらの街々を訪ねてみたい」という思いつきを実行しようか。と、ちょこっとここに備忘禄を作らせていただくことにした。(冒頭の言葉は、お話のタイトル)

染井の桜→「江戸の北西、中仙道板橋宿の近くに染井という地があって、花見の名所、飛鳥山もほど近い風光明媚な土地」。主人公である徳造は、武士の身分を捨て植木職人となり、この街に店を構える。この植木職人は、染井吉野を作った職人として描かれる。そういえば、都内に古くからある染井吉野は、どれも樹齢が100年と聞いたことがあるが、このお話は、実話に基づくものなの?
黒焼道話→浅草にはまだ凌雲閣という高い塔があり、イモリや百足、鶏冠の黒焼きの効能にココロ奪われた主人公・小日向春造は、自分の焼いた粉(振り掛ければたちまち鬱を解消するとか)をこの高みから道行くひとに降りかけてみる。主人公の住まいは、品川。当時は海辺の寒村だった...という風に描かれているが...。
茗荷谷の猫→茗荷谷町の小さな家には、画家の女性・文枝が一人住まい。画商の男・緒方が時折訪ねてくる静かな暮らし。
ある日、絵筆を置いて散歩したルートはこんな風。
「いつもの商店街には足が向かず、不忍通りから護国寺のほうへ向かったのはさっきの緒方の話が頭に残っていたせいかもしれない。坂上から眺めると護国寺の瓦が青々と照っていた。坂を下ってしばらく歩くうち異国の水にざっと潜らせたような洋風住宅の立ち並ぶ一画に紛れ込んだ。」...当時「造成地に作られた文化村」とあるが、これって、目白あたりのことかしら?そんなに歩いた?それとも別にあったのか。
仲之町の大入道→このタイトルが指し示す人は、どうやら内田百間のようでして、そこに、大家から頼まれて借金とりに行かされる主人公・松原均は、東北から上京したての旋盤工。仲之町まで、松原が地図をたよりにとぼとぼ歩く。
「四ツ谷の丘から箪笥町を過ぎ、荒木町に差し掛かったところで津守坂へと折れる。」(略)「津守坂から合羽坂へ入る。道なりに上がってゆくと市谷中之町に出た。」
その一角だけは、なぜか平成の今もまだ町名がそのままで、散策するならまずはココからか。
内田百間の「冥途」も、震災の影響にてまったく売れない本...として登場。
隠れる→主人公の耕吉は、親の遺産を食い扶持にする高等遊民もどきで江戸川乱歩の「赤い部屋」を人生の指南書とあおぎ、以前画家が住んていた茗荷谷の家に住む。彼が、故あって通いつめることとなる古書店の名が「偏奇館」。本郷菊坂を行きつ戻りつ、あきらめたころポッと見つかる不思議な佇まいの店というのも興味をそそる。これも乱歩ゆかりの名かしら?
庄助さん→これは浅草を舞台にした映画館の話。今は面影だけの”文化の街・浅草”が描かれて...。ちなみに、この映画館の支配人と茗荷谷に住んでいた画家の縁もここで明かされる。
ぽけっとの、深く→舞台は、戦後の闇市時代の池袋。物語の「縁」は、第一話の染井吉野の植木職人と密かに繋がる。
てのひら→舞台は、銀座と上野、池之端界隈。資生堂パーラー、和光、不忍の池、精養軒...物語の時代が近いのもあって、今と変わらぬ街の様子が描かれる。
スペインタイルの家→最終章。街は、東京オリンピックの準備でせわしない。渋谷金王町に住む主人公の通勤経路を少し回り道した場所にある瀟洒な家はスペインのタイルが特徴で...。
「さくら横町の細道を抜け、常盤松小学校の角を曲がって大通りに出る。めっきり増えた車の音に急き立てられ、千駄ヶ谷へと道を折れる。建設途中のオリンピック競技場に向かうトラック、2、3台に抜かれる。(略)このまままっすぐ、あと5分も行けば勤め先に着く。(主人公の)尾道俊男は、そこで向きを変え、左手の小路に入る。」そこに気に入った家、玄関周りの意匠にスペインタイルをあしらった家がある。
この通勤経路は、今、歩ってみたらどんな風だろう?
休日の散歩に登場する千駄ヶ谷の鳩森神社の富士塚。
とりあえずこれをお参りにいってこようか...。

実は、もっと様々に仕掛けが奥深く埋まっているような物語かも、もっと注意深く読むべきだったか...。
と、この備忘録を作ってみてそう思う。作者は何者?
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by tao1007 | 2009-02-22 15:06 | 読書する

サイデンさんの本

f0108825_21494334.jpg「谷中、花と墓地」。
こんなタイトルをつけた本を見過ごすわけにはいかないだろう。5月中旬に出たピカピカの新刊だが、文京区の図書館だって見過ごすはずはなく、すぐに蔵書となって私の手元に届いた。
著者のE.G.サイデンステッカー氏は、第二次世界大戦中に米国海軍日本語学校で日本語を学び(戦争相手は日本だというのに、アメリカのこの余裕はどうだ!)、戦後、国務省の役人、つまりGHQの一員として来日したひと。
もともとは、そんな経歴を持つアメリカ人であった氏が、いつしか、永井荷風、川端康成、谷崎潤一郎をはじめとした日本文学を英語圏に紹介する翻訳者・研究者となり、源氏物語の英訳までものした。
晩年は、ホノルル→日本を半年ごとに行き来していたのだとあり、晩春から夏まではいつも、ご近所の湯島にいらしたのだそうだ。
住まいは、無縁坂を登った旧岩崎邸と東大病院に囲まれたあたり。
やや若き日々は、浅草・隅田川とか、堀切菖蒲園、水元公園とか、東東京を花を求めてウロウロと...思いっきり親近感もつなぁ。そして、足を悪くした晩年も、杖をつきつつ不忍の池あたりから上野の散策を楽しんでいた。
この本は、90年代初頭から2006年あたりまで、日本滞在時に書かれた美しいエッセイ集。
時に、まっすぐな物言いで苦言を呈し、(きっと)頑固爺さんの人柄と、そこについついにじんだといった風のユーモア。その対比にくすくす笑いながらページを繰って、「ああ、1回でもいいからお会いしてみたかったなぁ...」などと思う。
周囲の人々から敬意と親しみをこめてサイデンさんとよばれていた氏は、2007年夏、転倒したのちこん睡状態に陥って逝ってしまった。

サイデンさんは、不忍の池を散策中に転倒した...んではなかったか?たしか、そんなニュースの断片が頭の片隅に残っている。
そのニュースを聞きながら、その方とすれ違っていた方かもなぁ...と、記憶の中を「杖を突く、アメリカ人、年配のアメリカ人...」と探した覚えがある。

実は「その方の書いたものか...」と、繋がったのは、巻末の編者あとがきを最後に読んでからで、それまでは、今もご近所に住まう方...の親しみを感じながら読んだ。
そんな風に読んだから、面白かった本を読了したときにいつも感じる、喪失感より、さらに喪失気分が強かったりする。

サイデンさんの著作は多数。遅ればせながらこの方のことをもっと知りたい。
加えて、なぜか小泉八雲の本が読みたくなった。
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by tao1007 | 2008-06-14 21:48 | 読書する

「警官の血」の舞台となる風景

図書館からやっと届いた「警官の血」下巻、仕事もそっちのけで完読させていただきました。

谷中の天王寺五重塔炎上事件が起こったのは、上巻の前半。
その火事の最中に、そこから程近い芋坂跨線橋から飛び降り自殺したのは、炎上した五重塔に隣接する駐在所勤務の警察官だ。

彼は、そこまでにいたる話の主人公で、その死という、やや不思議な展開で始まった物語の主人公は、その息子、その孫と受け継がれてゆく。息子は、激しさを増す学生運動の潜伏捜査員を任じられて神経症を病みやがて天王寺駐在所に勤務し、父親の死の謎解きを遠因としてやがて殉職。そのまた息子は、同じ警察官の内偵捜査員とという複雑な任務を負うことになって...。

谷中には、まだ五重塔の跡地は、跡地のまま残っていて、
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f0108825_1437654.jpgその隣には、もちろん現役の駐在所が存在する。
物語の根底には、警察官の死の謎が横たわり、だから最後まで天王寺駐在所を中心とした谷中界隈が細かく描かれることとなる。
戦後すぐから始まった、警察官の親子3代の物語のエンディングは現代。巨額の金が動いた経済事件犯人の逮捕直前で収束するが、全編通して、日本の闇の部分が描かれていて話は重く暗い。


一方、谷中という街とコミュニティの描き方が、まるで作家はこの街に住んでいるの?と思えるぐらいのリアリティー。

芋坂とか。
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その先の芋坂跨線橋とか。
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日暮里駅から谷中方面にのぼる御殿坂、左に曲がれば、初音通り、曲がってすぐの小さなアーケード初音小路のおくの小さな飲み屋。
初音湯という名の銭湯。
さんさき坂の谷中小学校。
諏訪神社。
これらの古い街とそこで生きる人々の生活の描写...それらが、物語の暗さの救いになっている感じ。そうじゃなければ、もしかすると、こんなに夢中で読まなかったかも。

作者は古い街の持つ浄化作用を知っているに違いない。
それは、闇に隠されたものを無視せず、しかし、むやみに暴かない、古い街の清浄な気の流れみたいなもの。
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by tao1007 | 2008-05-29 23:26 | 読書する

天王寺駐在所を巡る物語

f0108825_23114197.jpg谷中霊園の桜並木の中ほどに、山手線の内側では唯一の駐在所がある。その隣は、戦後すぐに消失した五重塔の跡地...あそこだ。

「警官の血」という硬派なタイトルに加え、私の認識では、佐々木譲氏は社会派の作家。なんか重そうだ...。
近所の新刊書店・往来堂の入り口を入ってすぐのいちばん目立つ場所に平積みされていなかったら、たぶん手に取ることはないだろうタイプの本。しかし、このコーナーに置かれた本はいつも外さないから、欠かさずチェックした。
手にとって冒頭の数ページを読むと...小説の舞台は、件の駐在所を中心として、上野界隈のようだ。地元の書店としては、売りたい本だよね。
もちろん、地元住民である私も「これは読まなくっちゃね」と、強く思った。

終戦直後の警察官大量採用時に警察官となったある男が配属を切望した天王寺派出所。願い叶って、着任してほどなく、五重塔火災が発生。時を同じくして男は謎の死を遂げた...。男の息子、その息子と様々な思いがあって、やはり警察官となり、時代の変遷とともに翻弄されてゆく話だ。といっても、まだ上下巻の上巻読了なんで...たぶんそうゆう話なんだと思う。

さて、上巻は、戦後すぐの東京上野界隈。焼け出された人々で溢れた上野公園の影も闇も裏もありそうな「警察官の治安」の話から、高度成長期、過激派の動きを掌握するための過酷な潜入捜査の話まで。
もちろんタイトルイメージに恥じることなく社会派の物語だが描き様はエンターテインメント。
次はどうなるどうなると面白く、読み止らない。ともかくどんどん読み進んだ。
で...読了、脱力。
「すぐに下巻にかかりたい!」と切に思う。
が、実は、まだ図書館から連絡は来ない。ちょっといらつくなぁ...。

相変わらず、本屋で見つけて図書館で借りるマイ・ルールを徹底しております私。
うーんこうゆうところは理不尽だあ~。
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by tao1007 | 2008-05-22 23:07 | 読書する

月に1冊の明治大正の文豪作品

このくそ忙しい最中に、明治文豪の真打・夏目漱石なんかに手を出してしまったもんで、読みきるのに月をまたいでしまった。
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文豪が作り出す物語といったら、事件がない、描写が長い。
なのに飽きない、物語の先が早く読みたいと思わせるのが、漱石先生の凄さ。

一方読み手の私の日常生活。
生活のすべてがショートカットで繋がっているかのようで、無意味な場面展開でごまかしごまかしといった中身の無いドラマに似ている。1日、1週間があっと言うまに過ぎ去ってゆき、ハッ!と気づくともう夜で、「ああ、さっき起きたばっかりな気がするけれど....」という具合。

ともかく、その生活に無理矢理読書時間を押し込んで見るものの...物語のワンシーン、その描写の素晴らしさを味わう暇もなかったりして、続きを読もうとすると容易に物語に入っていけない。しかたないから、挟んだ栞から数ページ前に立ち戻り、反芻しながら物語世界に入ってゆく...ああ、進まない。
実際のところ、現代社会に明治大正の文豪世界って、実は、すごーく親和性がないですね。

文豪の街にせっかく住んでいるのだし、と始めたリベンジ読書は、谷崎潤一郎「細雪」→森鴎外「雁」→夏目漱石「それから」と読んできて、まだたった3冊読み終わったばかり。
でも、もうすっかり、明治・大正時代のゆっくりした時間感覚に憧れるばかりだ。
長い歴史を考えれば、つい最近の時代だとゆうのに、小説の中では時間はゆっくり動いていて話自体もさしたる進展はなし、派手な事件とか、急な場面展開がないというのが新鮮で、いつからわが国はこんなに無駄に忙しいの?と思うことしきり。だから、登場人物の心情とかしぐさとか、街とか部屋とか着物とか...文豪の手による「描写」は、ことさら贅沢な感じがして味わい深い。

資産家の父の脛をかじる「高等遊民」...つまり現代語で言うところのニートの主人公・代助(しかし、当時のそれは半端でなく裕福で、神楽坂に家を持ち、手伝いの婆さんと書生もいる)が、親の勧める資産家の娘との縁談を断り、友人の妻を選ぼうとして...というストーリー自体は有名だから言わずもがな。「読書とはストーリーを追うコト」としか思っていなかった高校生の私にその面白さはわかるはずも無く、この話は、多少は大人になった今のほうがしっくり楽しめる。
特に、私の場合は、季節の花で彩られた美しい描写がココロに残った。

物語のはじまりは春。
まどろみから目覚めた代助の枕元の畳の上、八重の椿が一輪落ちている。何かの伏線か?とも思わせる印象的なシーンを冒頭に置き、しかし、物語にそれに類する事件はなかなか起こらない。

起こらないうち、次が来て、「蟻の座敷へあがる時候になった」初夏。
代助は「大きな鉢へ水を張って、その中に真っ白な鈴蘭を茎ごと漬けた。むらがる細かい花が濃い模様の縁を隠した。鉢を動かすと花がこぼれる」。
今度は鈴蘭。
代助は、その鉢のそばに枕を置いて、花の香をかぎながらしばしうたた寝をする。

...そういえば、この主人公、春先から、徐々に暑くなる夏に向け、こうして寝てばっかりいてうらやましい。

物語では、この日、百合の花を土産に来客があり(その百合は、根元を濡れ藁で括られているとあって、現代からみたらそれがおしゃれだ)、その大ぶりの白い花が、この鈴蘭の群がる鉢に浮かべられる。というシーンに繋がって、美しさが増した。

百合の花は、主人公と彼が思慕する友人の妻を繋ぐ重要な小道具だから、他にもある。

代助は大きな白百合の花をたくさん買ってきて、「花は濡れたまま、二つの花瓶に分けて挿した。まだ余っているのを、この間の鉢(鈴蘭の鉢)に水を張っておいて、茎を短く切ってすぱすぱ放り込んだ。」
それから、その強い百合の香の中で、友人の妻へ手紙を書く。
「お話したいことがあるので来てください」と...。

物語は夏、大きな不安を秘めた余韻を残し、静かに終わる。

ああ、そういえば、話の根底を流れていたのは、ささやかな将来への不安だ...と、ここに書いていて気づいた。
主人公は、解消できない不安を抱え、ウロウロと街をよく歩いた。
住まいの牛込見附から、飯田町を経由して九段下の古本屋。
飯田町から小石川方面へ、大曲りを通って、伝通院、本郷へ...。

違った意味で、ささやかな不安を解消するかのように、同じ街を私も日々歩く。
...と、これも、読了してから気がついてみたり。
ああ、これは、紛れもない現代に繋がる話なのだと思い至ったりする。
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by tao1007 | 2008-03-12 22:19 | 読書する

にんげんは夢を盛る器

f0108825_21484495.jpgいつもの図書館にて回遊。
なんと素敵なタイトル...と書架から取り出してパラパラめくったら、谷中の富士見坂の話に出くわした。
もしや..と思って、表紙に戻って著者名を見たら「森まゆみ」とあった。
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人の著作...。

私の社会に出た最初の仕事がタウン誌の編集者兼営業...ということもあって、この街に住むずーっと前から、気になってる名前のひと。
そして、いつの間にか、この街に住むようになってからは、近所の書店や図書館に行けば、目に触れないことはない名前。
詳しくみれば、その取り組むテーマも、雑誌の編集人という枠を軽々と超え、森鴎外とか樋口一葉とか、噺家の巨人円朝師匠とか。
...いつかは、読みたい、読みたいなーと思ってなんかちょっとタイミングが合わないというか...。
いつでも読めるし...と勝手に身近な感じを持っているっていうか...。

そろそろ読んでみてはどうかね?と本のカミサマあたりがおっしゃったか?

本書は、短文のエッセイ集。話の内容は、住まう谷中・根津・千駄木を基点にしつつも、沖縄とか長野とか宮城とか、ニューヨークにまで。そして、多くの魅力的なひとと会う日々。ともかく面白く、何をさておいても時間を作って、即効で読了してしまった。

森さんって、「きりっとしたひと」なんだなぁと思うこと仕切り。
興味の対象は広く深く...でも、自分の立ち位置はぶれることなく、流されない。しなやかに強く「自分は自分」という感じのひと。
予想してた以上に、私はこのひとが好きだなと思ってしまった。
...簡単すぎるけど、それ以外にいいようがない、そんな読後感。

ちなみに、ちかごろ、すっかり私の定点観測の対象になっている富士見坂の富士山。
数年前には、向かって左側に立つペンシルビルはなく、両側かけることなくきちんと富士山型に見えていたんだそうだ。
うーん、そうだったのかぁ...。

かなり大掛かりな反対運動もあり、森さんも主体的に関わったそうだが、解決ならず。

その左側がかけた富士山を前にして森さんは言う。
「一人の所有者、ひとつの事業主の経済的私権より、坂の上から富士山がみられる、といった多くのひとの精神的な、環境的、文化的な権利が優先されてよい時代だと考える」
私もそうもちろん思うが、富士山の左側は、ちゃちなビルの影に隠れてしまった。
しかし、森さんは、さらに先を見ていて、しつこく、あきらめない。
「何十年先になるのか、このビルが老朽化などにより壊されるとき、次の建物はもっと低くしたい。これ以上、富士山をさえぎるビルは建てないように事前に話し合っていきたい」と考える。
...こんな森さんの考え方を前にして、私はまだまだひ弱だ...と思ったりもして、なかなかそんなひとに会わなくなった昨今だから、好きだなと思ったのだと確認したりする。
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by tao1007 | 2008-02-15 21:48 | 読書する

この際、きちんと落語を知ろう

このごろますます嵌りっぱなし、というか嵌り具合が加速度的に増加しているNHKドラマ「ちりとてちん」。
その理由は、台本が素晴らしいことをはじめ本当にいろいろあるが、お話の中心に「落語」があるのもかなり大きい。
ヒロインが弟子入りした徒然亭一門の稽古部屋。
その壁に掲げられているコレなんかもテレビ画面の隅っこに、ちらっと登場するたび気になっていた。
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公式ホームページによれば、これは「師匠の持ちネタ50選が連なる木札」で、故・桂 枝雀師匠の稽古部屋にあったものを参考にしているのだとか。
...このように細かいところまで凝りまくっているのもこのドラマの醍醐味。これをじっくり見たかったし、見たら見たで、どんなお話だったっけ...とますます気になりだした。

なにを隠そうこの私、件のヒロインの年頃に、1度落語に熱中したことがある。もちろん、落語家になろうなんて思いもしなかったけど...あれはオトコの仕事と勝手に思い込んでいたもんで。
それは、私が新入社員のころ。やっともぐりこんだ小さな編集プロダクションのさらに小さなタウン誌の編集部員(部員2名うち1名は私)時代。
当時、ちゃちなタウン誌の巻末につく名刺大の広告を付き合ってくれるクライアントは、街の怪しげな飲食店やらラブホテルやら成人映画館やら...、うら若き乙女(笑)が、ラブホの入口かやらアダルト映画館の入場口から入って広告の集金(こうゆうところに限って従業員出入口とかいう気の利いたものはない。みんな共通)、けっこう大変でした。しかし、店主はそれぞれに趣味人で、街主催や店主主催の中小の寄席が、街のどこかでしょっちゅうやられていた。大人の間では落語ブームだったのかといえば、さにあらず。
趣味人が集まって催す会だから、「今何が集客に利くか」とかは考えない、落語ブームの現代のように、ヒトは集まらないし、少なくとも観客の中に若い者はそういなかった。
それでも、ちょっと影響を受けた私は、思い切って寄席に出かけてみたりして...そこもそんなに混んでおらず、さらにまだ大人になりきれてない私には場違いな世界に見えたりして...ああ、懐かしいです。
遠慮がちに、客席の隅っこで聞いた、なんてことない江戸の市井の話がすごく面白く。
なおかつ、まだまだ修行中の前座さんと、中堅の二つ目、そして真打と演者の腕によって全然別の物語に様変わりする様子が、もう魔法のように不思議だった。
なんか、ぱっとしない初老の落語家が語りだす物語世界の、もうなぁーんて面白いこと、素晴らしいこと...。
「ただ若いこと、というのはあまり自慢にならないない」を知った最初だと思う。

しかし、日ごろブームに疎い私に、これほどまでの「落語」の応酬。昔のことなどしみじみ思い出しもして、これはなんかのお告げかも。
まずは、て近な文献からでも...と、少しずつ落語の噺を読んでみることにした。
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まずは、ちくま文庫の「落語百選 春」。
表紙のイラスト「上野の清水堂」もいい感じだし。寄席にもいってみようかなぁなんて思う。
はてさて、これは何のお告げなんでしょうね。この先の展開が、わたくしごとながら楽しみです。
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by tao1007 | 2008-01-23 23:58 | 読書する

鴎外の物語の無縁坂

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月に1冊は、明治大正の文豪作品を読もうと決意したのは、昨年も押し迫った12月。
ご近所、谷根千界隈をウロウロするうちに、ふと、私って、明治・大正の文豪たちをちゃんと読んでないなぁと思い至る。一方、文豪の街文京区に住んでいるのも何かの縁、図書館には、誰が借りるのかしらと思うぐらい蔵書は豊富。

ということで、谷崎の「細雪」につづく、2冊目は、森鴎外の「雁」だ。

「雁」の物語世界では、パッとした事件など何も起こらない。
東大生かつ美男の岡田が散歩するコースが、無縁坂。暇つぶしに、その坂を通ってぶらぶらと上野のお山や湯島天神あたりへ。
その坂の途中に、東大寮の小使いから、こつこつ金をため高利貸しにのし上がった男を旦那にもつ美しい妻妾のお玉が住んでいて....。現代小説ならば、さしずめ、このふたりの間にコトが起こってドロドロすったもんだ...だろうが、何もおこらない。にくからず思っている二人の仲を邪魔するのは、偶然のたわいない出来ごとで、それを象徴するものが、タイトルにされた「雁」。

しかし、物語は面白い。
お玉が囲われている家の様子とか、それぞれの登場人物の当時の暮らしとか、時代が時代だからこそ物事は遅々とすすまず、それがかえって人々の心象風景を充実させる。
そこが面白いのだ。
今より刺激がずーっと少ない時代だからこそ、創りだすのが可能だった豊かな人間物語だ。

さて、文豪といわれる作家の本は、巻末の資料が充実していて便利でもある。
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この本なら、巻末にある本郷、上野、湯島界隈の、「雁」の物語当時の地図。無縁坂ももちろんある。
消えた町名とか、地下にもぐった川とか、その変化を見るのも面白い。
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by tao1007 | 2008-01-16 21:48 | 読書する

古い街の魔法

夏目漱石旧居跡とか、森鴎外記念館とか...。
そんなものが点在する古い街をうろうろする日々が続いていて、ふと、古典といわれる本を無性に読みたくなった。
大正・昭和あたりの日本文学は、へたすりゃ国語の教科書の意図不明な抜粋を読んだっきりのモノが多く、物語全編通しで読みきったものは数少ない。
さっそく近所の本郷図書館へ行けば、いままで気にも留めなかった全集コーナーは、いったいこんなにたくさん誰が読むの?と思うほどの充実ぶり。
さすが文豪の街だね。
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で、借りたのは、何故か谷崎潤一郎の「細雪」の巻。
舞台は大阪やん!何ボケかましてんねん...いやいや別に間違って借りたわけではありませんよ。
高校時代のリベンジのつもり。
あの頃は1行たりとも物語が頭の中に入ってこなかった...。今度はどうだろうと思ったもんで。

さて、大人になるというのは本当に良いものだ、「細雪」ってこんなに面白かったのか、と夢中になった。
この小説は、よく「絢爛豪華な..」とか解説されていた記憶があるが、私としては、昭和初期の大阪船場にかつて店を構えたこともある没落商家だが、今は蘆屋に住まうかろうじて中流家庭の蒔岡家...そのライフスタイルがなかなかに興味深かった。
戦後の経済成長ののちの一億層中流の時代と違って、この時代の「中流」は、女中さんを2人も雇って、時代が落ち着いたら娘をヨーロッパに留学させたいとか言っている相当にお金持ち。次女のお婿さんの稼ぎのみで、妻、娘、未婚の妹二人を養ったりしているが、それでも充分に余裕がありそうだ。しかし、上流階級のお話にありがちな格式ばった感じはなくて、なんとなく身近な感じ。
時代なりの世間体とか常識には、普通に囚われている「ふつう」の人々による物語であって、しかし、戦争前夜のその時期になんとなくのんきに暮らした数年のお話だ。軸になっているのは、なかなか嫁ぎ先が決まらない、三女の見合い&縁談の話...。今度は、そのエピソードがちょっともの珍しい。

物語には幾たびか春が巡ってきて、4月に家族で着飾って出かける蒔岡家のお花見のシーンが印象的だった。
まず、蘆屋の家を土曜の午後に出かけ、南禅寺の瓢亭で早めの夜食。都踊りを見物してのち祇園の夜桜を楽しむ。あくる日は嵯峨から嵐山をめぐり、夕暮れ時に市中にもどり平安神宮の桜を見る..のだという。
「もっとも名残惜しまれるたそがれのひとときを選んで、半日の行楽に草臥れた足をひきづりながらこの神苑の花の下をさまよう」と描かれていて、ひときわ寒い近頃だから、いっそう桜の季節が恋しくなった。

平安神宮の桜を、「このあたりの花をおいて、京洛の春を代表するものはない」と言い切っていたそのときは、1943年あたり。
現実は、戦争による厳しさを増すばかりのときに、のどかな時代を夢心地に書いていた谷崎潤一郎は、57歳。当然のごとく、「中央公論」にて連載が開始されたとたん、陸軍省から「時局に会わない」と掲載禁止の処分を受けた。それでも、作家は、密かに物語を書きつづけ、戦局悪化の1944年に自主出版。しかし、そのたった200部とかの私家版さえも出版さしとめになった。
しかし、さらに、何にめげることもなく書き続け、結局、戦後すぐ1946年6月に出版は果たされる。

軍事教練だ、空襲だと落ち着かない時代に友禅の着物で花見に興じる中流一家を描き。食べ物はどんどん枯渇して、配給となった生活の中で、「神戸オリエンタルホテルのグリルで食事」とかふつうに書き放ち、亡命ロシア人宅でのもてなしの様子をリアルに描写する。
作家とは、精神力に長けたひとのことを言うのだから当然ですね。と、口絵に添えられたモノクロ写真の谷崎老人が言っているようだ。

そんなこととは露知らず、時に床に寝転びながらのんきに読む現代の読者である私は、巻末の年表を読んでそのことを知り、恐れ入って、起き上がりひざを正してみたりした。
ひざを正してみたものの、なーんとなく思うのは、谷崎の伯父様、本当に、ただただ、しつこいしぶといひとだったんだね...というイメージ。不謹慎かしらね。でも、多くの賞もとり、自らの名を冠した賞も存在するが、少なくともこの「細雪」からは、偉人の匂いはしてこない。
ともかく「しぶとかった」のは、実際のことで、戦後も淡々と多作をし、源氏物語まで翻訳し、79歳まで現役で逝った。
私は、この作家のそんなところに興味を持ったのだ。


...さて、次こそは、谷中・本郷あたりが舞台の物語、森鴎外の「雁」の世界に飛んでみようか。
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by tao1007 | 2007-12-19 23:13 | 読書する


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