ただいま、あくせくと企画書を作成中。
もしかしたらコレ会社員時代最後のプレゼンになるかもなぁ...と思うとけっこう真剣になったりして。真剣ついでに、今までやりたくて出来なかったこともあちこちにさりげなく反映...というかこじつけてみたりした。
そのひとつが、「エコ」。
...っていっても近頃はいずれの企業も何かと言うとエコ、エコとうるさくて。それって、あなたの会社の存在意義を揺るがしますが、それでもいいの?と言いたい。
いや、揺るがしてみたいが...。ふふふ。
エコが、ココまで流行というかトレンドになってしまうと落とし穴とか矛盾も多く、たとえば、どのスーパー、百貨店及び街の雑貨屋に至るまで、今や豊富に揃う「エコバッグ」。加えて、エコキャンペーンとかイベントにてただ配りされる「エコバッグ」もあって、だぶついたら捨てるんでしょうね、きっと。
それって、ちょっと違うんじゃないの?
あんなにあったら、CO2削減どころか、そのおおもとの石油はいったいどれだけ使ったんだろうかばかりが気になってしまう。
人口で割ったら、国民ひとりあたり何枚のエコバックを持つことになるのかしら(笑)。
やれやれ...。
思考は、段々エコに関する諸々に移り行き、あっという間に、企画どころじゃなくなった。
自分用のエコの「ネタ帖」兼「勉強ノート」なんかを引っ張り出したせいもある。
1ページ目から読みはじめ、深みに嵌った。
どうせ流行るなら、AからBに消費する対象を変えるエコではなくて、不要なものは買うのを辞めて今あるものを最後まで使う、清々しい日常のことにしたい。
そうして、ひとりひとりが生きるのにかかるコストを減らし、もうあくせく無駄に働かない。
イラつかず、ゆっくりと本当にしたいことだけして生きる。
そんな風なのが、結果エコじゃないのかね...。
さて、この道。
上野公園のこれは国立科学博物館前の舗道。...なんですが、素材は石とかコンクリートではなく多摩の杉材。しかも、需要が減って打ち捨てられていた森の「間伐材」を使って造る。
たった55㎡ほどの面積だそうだが、歩くと道が柔らかく土の上を歩いているようだ。
一度、こっそり靴を脱いで裸足であるきたいなぁ...。
建築資材には適さない「間伐材」はかつて需要が非常に多かった木素材。だから、国は国策によって広葉樹の山を杉林の山に変えた。しかし、やがて「建築材」とともに需要は減退、森林経営の採算悪化で放棄され、死んだ森林が増加した。
「55㎡の道を造るのに「間伐材」は約800本分」とか。
「この素材の利用を促進することは、荒廃が進む多摩の森林の活性化促す」とか。
舗道の際に立つ東京都所管の看板にそう解説されたけど、対して過去の自分のコメントが言う。
「それが本当なのかどうなのかについては、そのまま真に受けずに自ら調べなくちゃね。」と。
うたぐり深い自分にちょっと笑いつつも「それはそう、賛成!」と言って見る。それが「エコ情報」に対する、現在の正しい姿勢と私は思う。
それでも、私はこんな道が増えたらなぁと思って、ノートに記録したんですが...。
それは、「木材を使用した舗装はその特性からいずれは腐り」...という事実。木だから燃やせて、やがて土に返ってゆく。使いきれるものを使うキモチよさに対する憧れなんですね。
たとえば、綿の着物→寝巻き→オムツ→雑巾と形を変えて最後まで使きっていた祖母の時代は、日常生活に使い切れるものが圧倒的に多かった時代でもあって、そんな生活に憧れる感情っていったらいいですか。
うーん。たとえに若干リアリティ不足?
買ってきた食材を残さず、何も捨てずぜーんぶ使いきった気分の良さってのはどうでしょう。
とにかくエコのキーワードは「清々しさへの憧れ」なんです。我慢じゃなくて。