終日家にいるときは、基本読書なんだけど、途中音楽を聴きたくなったりTVを付けてみたりする。
昨日の雨の土曜日もそんな感じで、TVをつけると「土曜スタジオパーク」のゲストは、堺雅人。
今の大河ドラマで徳川家定役を演じているのは知っていたがそれゆえの出演のようだ。
で、私は、といえば、どうも根気がなくて、大河を続けて見られない。
が
、「そうか明日から、いよいよ篤姫は大奥に入るのか...」とも思う。
衣装・セットに限りなくリアリティを追求するNHK。
大奥の頂点、御台所を主人公に据えた以上、そのライフスタイルは、忠実に全部見せてくれるはずだろう...と、結局、初日で断念した「篤姫」の観賞を再開した本日8時。
うーん、予想通り、豪華な着物や髪型はもちろん、各種調度品やら、日常生活やらが事細かに描かれて面白いじゃないの。
江戸城大奥の豪華絢爛なライフスタイルをその技術で支えていたのは、実質、日本の職人たちだ。...というのは疑いも無い事実。
で、私にとってはTVといえどもその復元の様子が観賞できて興味深い。
もし仮に、かの時代、優秀な職人たちが尊敬され優遇されなかったら、江戸城の畳ふすま廊下欄間...などなどの細かな細工も、食生活全般を彩った漆器も磁器も、生糸と織りと刺繍と染めの技術もそれは無い。
一方で搾取の構造によって成り立った上にこの豪華さがあるが、その錦の御旗である「格式」「権威」などがそれら技術のパトロンとなり、今に伝える。という考え方もある。
どちらにしても、「安さ」と「効率」を錦の御旗に「モノ創り」の機会(とけっきょく技術)が海外に垂れ流されている現代よりも、日本の心の豊かさを支えていたように思えるのだがどうか?
もちろん、そこに戻れということではないけれど、職人による職人の国・ニッポンなのだということを思い出すべきだと、私は思うね。
営々と、モノつくりを繋いで生きてきた私たち日本人、所詮モノつくりから離れては、上手く生きられないのではないか...。
ともかく、しばらくNHK大河ドラマ「篤姫」にもはまりそうな気配濃厚。
TVといえば珍しいことにもうひとつ...。
「車のセールスは、狩に見えて、実は農業だ。耕さなければやがて稔らなくなる。」
全8回の連続ドラマ「トップセールス」もNHKで、いまのところ各1話に必ず何か引かれるセリフがあって、結局、ずるずる見続けている。
特に昨日のこのセリフはすごかった。
破竹の勢いで日本経済が巨大化した高度経済成長時代。それを支えたひとりである(蟹江敬三演じる)名人(?)カー・セールスマンのセリフ。
戦争を体験しつつも生き残った彼らの、「世の中を良くしなければ」という責任感の大きさというものを思い知らされるドラマでもあって、多くの仕事が哲学をなくして宙ぶらりんになってる今との対比を思う。
江戸時代までの誇り高き職人国ニッポンどころか、つい最近のことまですっかり忘れ、私たちはいったいどこへ行こうとしているのだろう。
日本の問題をさりげなく突いてくる。
私の中で一世を風靡した「ちりとてちん」もそうだった。
NHKのドラマつくりは時々上手いと思う。