小田実さんと阿久悠さんが相次いで逝った。
小田さんの書いた本「何でもみてやろう」を読んで、貧乏旅行に飛び出した友人は周りに多いし、阿久悠さんにいたっては、街で暮らせば問答無用で耳に入ってきた歌詞。
ニュースの追悼コーナーで昔の番組に出演した阿久悠さんが、「女より女性と思って詞を書いているね。大またでスタスタあるく女性(ひと)がいいね。大またでスタスタあるく女性(ひと)を書きたい」と言っていた。
小田さんは権威に真っ向から立ち向かったひと。
私は、この方たちを「熱心なファン」といったように意識したことは実はない。
しかし、小田さんの本は当たり前のように読んでいたし、物心ついたころにあたりで流れていた歌謡曲は阿久さんの作詞によるものだ。
どちらも空気のように存在していて、私はその空気たちから、自然と「自分の足で立つこと」を教育されたように思う。
小田実さん75歳。阿久悠さん70歳
私たちの世代に、広くたくましい背中をたっぷり見せ続けた親の世代。
なのに、訃報にある年齢をみて、お二人とも70歳を越えていたことに驚いた...そんな自分に別の私がちょっと驚く。
このような方たちは年を取らないとどこかでうっすら思っていたのだ。
もしかして死なないとも...。
自分でそうと意識しないで深い影響を受けた、親世代のひとびとが亡くなってゆく。親の世代が頑張っているうちは、なんとなくのんびりダラダラ過ごせるけれど、だんだん今度は自分がそこに近づいてゆく。
渥美清さんとか植木等さんとか、
TVやスクリーンのあっち側にいて大好きだったひとが逝ったときには感じなかった気持ちをゆっくり咀嚼してみる。
さびしいというより、厳しいという感じ。
私は、言葉で...有言実行で、相対してくれた大人により大きく影響されているのだと思い知る。