午後ぽっかり時間があいたので、国立新美術館へゆく。一応仕事中なのでそう豊富に時間があるわけでもなく、エントランス付近とミュージアムショップのみ見学すると決める。
青山霊園側から入ると遊歩道のサクラがもう葉桜になっていた。この美術館は正面から入るより断然こちら側からのほうが感じがよいと思う。
ガラスが波打って見える概観の建築デザインもエントランス付近の巨大な吹き抜けも凄いけれど、私がいまのところいちばん心惹かれているのは、地下のミュージアムショップ「スーベニア フロム トーキョー」の入口付近の壁面に書かれた言葉だ。
そこにはこうある。
「わたしたちには見えます。「あらゆるもの」が等価に結びついている風景が。最新のもの、古くて懐かしいもの、(略→高級品も安いものも、土着のものも、有名な作家のものもアノニマスなものものように、ものに関する対比がつづいていた)、そのどれもが、同じ地平に立つ風景。そして、その場所で営まれるのは、誰かがすでに決めてしまった「あらゆるもの」のイメージを軽々と逸脱し、圧倒的な編集能力でもって新鮮な驚きを形づくること。私たちが暮らすここ東京ではそんなものの見方やつくり方をすることができます。(略)」
ものを創ることへの可能性とか、素晴らしさとか、ともかくやる気を呼び起こす言葉。そのテキストのしたには、ロゴデザインほか関係者の名前がクレジットされていたが、肝心のこの文章はだれによって書いたのかの情報はない。しかし、それがこの文章の価値をさらに高めているようにも思えた。
この前に落ち着いてこの言葉を眺められるベンチを置いてくれないか...そんな風に思いつつ。、テキストがデザイン処理されたミュージアムグッズ、あのノートやマグカップに書かれた言葉はもしや...などと思う。
そんなはずもないかなぁと思い直すが、確認がてらもう一度そこにこの言葉を確認しにゆくだろうことは確実だ。