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ココロはいつも休暇中



久しぶりにアースーシーへゆく

久しぶりにアースーシーへゆく_f0108825_22485241.jpgやく1ヶ月ぶりのアースーシーの旅、ゲド戦記5巻目です。
これは21世紀があけたその年に書かれたお話だから...あまりにも最近作だからだと思うのですが、私は物語として俯瞰してみることが難しかった。
作者のル=グウィンがこの話を書き上げたとき、もう74歳。だから、生きることや世界への疑問に対し答が出たことも多かったでしょうし、見えてきていたこともたくさんあったのではないかと思えます。しかし、たぶんまだまだ迷える渦中の私、何かすっきりしない読後感です。

竜と人間は昔同じ生き物だったという話。
あるとき、竜は翼と自由と火と風を選び、人間はあらゆる手の技とそれが生み出したもの=富を所有する権利、水と大地を選んだという話。竜の自由は時間を超えて飛び回る自由で、それを選ばなかった人間には永遠の命にも見える自由でもあったという話。
矛盾することであろうとも何でも欲する醜い人間の姿が物語りに透けて見え、世界に悪しき波紋を呼んだ...そんな話。
...と読めるのですが、じゃあどんな話?とこころの中で堂々巡りです。

もう少し年を重ねてから再読することを決めて、とにかく物語の旅は終了です。(正確には、「ゲド戦記外伝」があるので、もう少しあるのですが....。)

ところで、ゲド戦記はソフトカバーの普及版も出ていて、確認したいことがあり本屋にて立ち読みをしました。がしかし、読もうとした訳者あとがきがそこにはない。
もし、ゲド戦記を読むなら、ハードカバーのほうをおすすめしたく思います。訳者の清水真砂子さんは、アースーシー物語をゲド戦記に訳すことはル=グウィンとともにある旅だったと言っています。そして、その旅の記録のようなものがこのあとがきだと私は思うから...。日本語版はここまで読んでやっと「ゲド戦記」なのだと思うのです。

しかししつこいようですが、何故「ゲド戦記」なのか?
オリジナルのタイトルは、たとえば5巻目のこれはTHE OTHER WIND、4巻目は、TEHANUーThe Last Book of Earthseaという名で戦記に類する単語はまったく存在しません。
物語にも戦いのシーンは登場するものの、戦ってる場合ではない話というのが本当のところではないかと思うのです。
それは、たとえゲドが戦いに勝利したとしても、その結果はまた新たな問題として、アースーシーの国へ帰ってきてしまうという意味であり、世界は戦ったとしても何も解決しないのだという意味で...。少なくともこの5巻目のゲド戦記には、竜と人間の話し合いはありますが、戦いのシーンは皆無です。
by tao1007 | 2006-10-24 22:14 | 読書する
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