博物館に行く。
目当ては、先日始まった特別展「伊勢神宮と神々の美術」なのだが、さらに気持ちを後押しするのは、頭の中に浮かんだ、広くひんやりした場所としての博物館のイメージ。
さて、特別展。
まだ始まったばかり(9月6日までまだまだ会期余裕あり)なのか、それとも午前いちばんに入館したからなのか、その他の理由なのか...はさだかではないが、非常に空いていてまずびっくり。
広い空間内にて、じゃまするもの皆無の状態。
こんなにじっくり見学が可能な特別展って、私の記憶の中には無いもんで、ともかく嬉々として鑑賞&堪能。
およそ2000年続くといわれるお伊勢さま。
20年に一度お社を作り変えご神体を新宮に遷す「遷宮」という営みのこと、漠然とは知っていましたが、「こうゆうことだったのか...」と言う学びが興味深い展示。
飛鳥時代の昔から1300年にわたって続けられ、次回の遷宮は、平成25年(2013)で第62回目。20年に一度といっても、その資材の調達やら、新宮に納められる御装束(神さまがお召しになる衣装)や神宝の新調やら、それらにまつわる儀式やらで、準備に要する時間は約8年。2013年までは4年を切って、現在も着々と進行中なのだ。
さて、展示品の数々の中で、もっとも私の興味を惹いたのは、昭和4年とか昭和29年とかの博物館的にはかなり最近作られた御装束と神宝の数々。さしたる歴史の波に晒されることなく、いわば新品のそれなのに、重厚感とか何か営々と続く”気”のようなものすら感じられる...歴史に変わる迫力はいったい全体なんだろうか?
これって、非常に珍しいことだと思うのだ。
人間国宝とよばれる方々の手によって、(たぶん)お金に糸目をつけず、最高の材料と環境で整えられるものだから...ということもあるが、古式にのっとり、それを変えることなく千年を越える繰り返しがそうさせるのではないかしら。しかも、それは神さまのものを作る繰り返しなのだから。
...などと推測すれども、まだ何か足りない腑に落ちないという興味深さ。
その他にも、いちいち「海の正倉院沖ノ島より発掘」とか「出土」とあるから何かしら?と思えば、かつては20年たって撤下(おさがり)された、神宝や御装束は、人々の目に触れるのは恐れ多いと、皆、その沖ノ島の地中に埋められたのだという。
ほー。
その出土されたという展示品を鑑賞しつつ、神への畏敬なんでしょうね、ああ、すご過ぎます。これを埋めた...か。
などなど、その奥深さに段々気分が高揚し...しかし、展示会場は、いつもの半分。
何かエネルギーが余ってしまって、そのまま平成舘の(いつもはあまり見ない)古代展示とか、最近見たばかりの、本館の着物や浮世絵のあたりとか、さらに法隆寺舘も眺めて...止まらない。
なーんか、カラダが冷えてきて外に出ると暑いというより温かかった。
いかんいかんもう帰ろう。
...と。
木陰に2人の白人大男がうたた寝中。
そっと正面に回れば、うたたねではなく熟睡中だ。
白い肌を赤々と日焼けさせ...でも、大きな樹の影がことのほか気持ち良さそう。
緑あるとことには、何かがやどる。ここ博物館の木々のあたりにも、遠く伊勢の国にも...。なあんてね。